はじめまして。
ぬくもりの家 代表の西原倫子(にしはら みちこ)です。
私は、大学を卒業後、富山県で小学校教員として働き始めました。私にとって、小学校教員という仕事は、自身が小学生の頃から絶えず憧れを抱いていた職業で、教員以外の仕事は考えたこともありませんでした。
そんな長年の憧れが現実となり、小学校の先生として初めて子どもたちの前に立った時の感動は今も忘れません。
担任した子どもたちとの日々は、毎日が学びと気づきの連続で、今振り返っても本当に愛おしく、宝物のような時間でした。目の前の子どもたちの笑顔が見れることは、当時の私にとって幸せそのものでした。
しかし、教員をしていたある日、私の人生を揺るがすような出来事がありました。
担任していた女の子との出来事です。(以下、Aちゃんと言います。)
Aちゃんは心を許した人にはとことん心を開いて、相手と仲良くなろうとする心優しい、素直な女の子でした。
担任である私にも、すぐに心を開いてくれて本当にたくさん自分の話をしてくれました。私が好きだと言ったミッフィーのイラストに習いたてのひらがなで、メッセージを添えた紙を毎日のように渡してくれました。
「先生は何色が好き?」
「先生、Aちゃんのこと(自分のこと)好き?」
「先生、今日の昼休み、一緒に遊ぼ?」
とにかく気づけばAちゃんはいつも私のそばにちょこんといて、
担任だった私と関係性を築こうとしてくれました。
毎日ありとあらゆる手を使って一生懸命思いを伝えてくれるAちゃんに応えたかった私は、他の子ども達との関わりを大事にしつつも、とにかくほんの数分でも、Aちゃんと毎日コミュニケーションをとろうと時間の捻出に励んでいました。
どんなに日々忙しくても、子ども達と目線を合わせたコミュニケーションの時間が、ギリギリだった私の心をいつも支えてくれていました。
とある日の算数の授業でのことです。
Aちゃんは、授業中、こちらが指定したところをさっさと終えて、どんどん先のところまで問題に取り組むことが度々ありました。
「自分でどこまでできるか、やってみたい」とか、
「分かるから楽しくてやめられない」といった感情でAちゃんが取り組んでいるように見えた私は、その様子を見守りながら全体の授業を進めていました。
でも、ふとAちゃんの方を見ると、
Aちゃんが机に突っ伏していました。
「どうした?大丈夫?」と私が声をかけても、
Aちゃんは頑として顔を上げませんでした。
かなり時間が経ってから、顔を上げたAちゃんの瞳は涙でいっぱいになっていました。できる!と信じてやったのに、途中で分からなくなって絶望していたことがその表情から読み取れました。つまづいたところから一緒に勉強しよう?と誘ってみましたが、首を縦に振ることはありませんでした。
Aちゃんはとにかくクリエイティブで、自分で考えた面白そうな遊びを、友達を巻き込みながらどんどんやってみる姿が印象的でした。
「これをこうしたら、面白くなる!」と言って、
休み時間になると誰よりもその表情をワクワクさせながら、
遊んでいたAちゃん。
でも小学校の休み時間は、せいぜい10分〜20分程度。
子供が夢中になって遊ぶには、あまりに一瞬です。
いくらワクワクが止まらないAちゃんでも、
遊ぶことを強制終了させられる時間はやってくるのでした。
その時のAちゃんを見るのが私は教員生活をしていて最も辛いことでした。
さっきまでAちゃんの目に漲っていたエネルギーやキラキラとした輝きが一瞬で消えてしまい、その後のAちゃんは授業や掃除などあらゆる活動に無関心、無気力状態になっていきました。
Aちゃんは、他のどの子供よりも「遊びたい!」という気持ちを素直に体現してくれました。
その姿に私はハッとさせられたのでした。
小学生の子供たちが本当に求めていることは、
時間を気にせず、目の前の「やりたい!」に飛び込んでいくこと。
飽きるまで目の前のことを無我夢中でやり続ける経験。
やってみたらどうだったか、を自分で確かめる経験。
そしてそれを誰からも否定されず、安心感の中で実行できる環境
だと強く実感しました。
でもそれがことごとく不可能な環境、それが今の学校という場所なんだと当時の私は突きつけられたのでした。
そしてAちゃんは、日を追うごとに元気を見せなくなりました。
学校に来る頻度も、少しづつ、でも確実に減っていきました。
そんなある日、Aちゃんがお母さんと一緒に、今後のことを話しに、放課後の学校に来てくれました。
今後は、小学校に籍を置きながら、別の場所で過ごしてみるということになりました。
最後にAちゃんは、
「先生とお菓子を食べたい」と言って、お母さんにお願いして私の分と自分の分のお菓子を買ってきました。
誰もいない静かな放課後の教室で、Aちゃんとお話をしながら一緒にお菓子を食べました。私はその時、久しぶりにAちゃんの目を見て会話できることにものすごく有り難さを感じました。Aちゃんが学校に来てくれていたから、私は毎日Aちゃんと会話することができていたんだ、とこの時、痛感したのでした。
そして、お母さんとAちゃんを見送りに駐車場に出ました。
ありがとうございましたと言って車に乗り込むお母さんに続いて、
助手席に乗るAちゃん。
ドアを閉めようとする手を止めて、Aちゃんは言いました。
先生、学校に行けなくて、ごめんね
私の目をまっすぐに見つめて、
苦しそうに、絞り出すように届けられたその声は、
私の脳裏に、焼きついて離れません。本当に悔しい、やるせない思いでした。
Aちゃんの車が見えなくなって、それまで必死にこらえていたものが一気に溢れ出しました。
私はAちゃんとのこの出来事を経て、様々なことが脳内を駆け巡りました。
子どもに「ごめんなさい」と言わせてしまう教育って何なんだろう。
子どものための場所であるはずの学校が、子どもたちを追い出してしまう構造とはいったいどうなっているんだろう。
学校に行けなくなった子どもたちは、どこに行くんだろう。
子どもたちに本当に必要な教育って何なんだろう。
考えれば考えるほど、教育に関わる者としてどう在ればよかったんだろう、と答えのない問いに約1年、頭を悩ませました。
そして、私がたどり着いた答えが、かつてのAちゃんのように
学校に居続けられなくなった子どもたちの居場所に、私がなる
ということでした。
私が生涯を賭して成し遂げたいことは、目の前の子どもたちがもう一度本来の笑顔を取り戻すこと、
ただそれだけです。
長くなってしまい、失礼しました。どうしても、短く収めることができませんでした。
私からお伝えしたいことは、ただひとつです。
親御さんが今抱えている苦しみ、悩みを共に背負わせてください。
そして、共にお子様を支える大人として、仲間として、共に手を取り合わせてください。
私と親御さんでそんな関係性をつくっていくことができたら、私にとって、これ以上の幸せはありません。
2025年12月11日
ぬくもりの家 代表 西原倫子